ちーず研究所

好きなことをのんびり 読書/日記

 私は兼好法師の考え方に賛成である。なぜなら、結果に至るまでの過程も重要だと蝶々夫人を見て感じたからだ。



 「蝶々夫人」とは1890年代の長崎を舞台にしたオペラのことである。アメリカの海軍士官のピンカートンと日本人の蝶々さんの二人は結婚するが、それからまもなくピンカートンはアメリカへと帰ってしまう。そして彼は帰国後アメリカでも他の女性、ケイトと結婚してしまうのだ。一方、夫を信じて待つ蝶々さんは、三年目の年にピンカートンが日本に帰ってくると聞き、子供と女中との三人で喜びの日々を過ごす。しかし、当日ケイトを見て事情を察した蝶々さんは自害してしまい、ピンカートンの嘆きでオペラは幕を閉じる。

 この物語は蝶々さんの夫へのさまざまな気持ちを歌い、それを主軸に進む。そして蝶々さんが「自害の末亡くなった」という結末よりも、「夫を信じて待っていた時の幸せだったこと」を強調して描き、彼女の一途さを印象付けている。つまり「蝶々夫人」というオペラで扱われ主題となったものは、蝶々さんの最期ではなく、それに至るまでの過程を描くことだったといえる。蝶々さんは三年間、ピンカートンの残した子供と二人で耐え忍んでいたのか?いや、そうではない。夫が帰ってくることを信じ喜びで胸を満たして、再会を心待ちにしていたはずだ。あの頃と同じ花嫁姿でピンカートンを出迎えよう、部屋中に花を散らして華やかに彩ろう、と喜びの最中彼女は歌う。蝶々さんの三年は確かに幸福の毎日だった。

 物語は終わり方が全てではない。物語における最盛とは、クライマックスへの盛り上がりのことであるが、その前後では登場人物の感情が複雑に絡み合い、読み手へと訴えかけている。わかりやすい最盛のみが大切なのではない。その背景にある過程を感じとることも大切なのだ。以上のことから、私は兼好法師の考え方に賛成である。






読み返すと照れますね 国語の課題レポートでした!